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プレマシー旅日記

18 幻になる景色ツアー (2007/5/3〜2007/5/4)

5月3日

世間はゴールデンウィーク。だからといって遊んでいるヒマは、本来ないはずなのだが、1泊2日コースくらいならまぁいいかということで、さと全面プロデュースによる旅行が計画された。遠出した実感がある1泊2日程度の行き先ということで、遠くない将来ダムの底に沈む計画となっている、群馬県の川原湯温泉が選ばれた。

5月3日へと日付が替わる頃出発。連休後半の初日のためか国道を走るトラックも少なく、プレは快調に走って7時間ほどで、道の駅雷電くるみの里に到着。まだ朝早く中を見ることはできなかったが、江戸時代に圧倒的強さを誇った力士、雷電ゆかりの土地なのだろうか。朝食弁当を用意して旅行に出るのは3〜4年ぶり。上信越道を見下ろすなかなかの絶景ポイントということで、ここで食事。周囲を見渡すとキャンピングカーに混じって、どうもかなりの数の車中泊者がここで夜を明かしたようだ。以前は道の駅で車中泊なんて少数派の異端児か変人のすることだった気がするのだが、いつの間にかずいぶんと一般的になった感がある。

パックン号 何度も通った碓氷バイパスを駆け上がり、横川と言えば名物おぎのやの釜飯を横目に見て、国道18号線から県道に入り富岡を目指す。今回の旅最初の行き先は群馬サファリパーク。到着は9時頃だったにもかかわらず、ゴールデンウィーク後半の初日だったためか、近県ナンバーのクルマですでにかなりの混雑。プレでライオンやトラの横を通り過ぎるのもよいかとは思いつつ、入り口で「本日マイカーによるご入園はウォーキングゾーンのご利用ができません」との紙をもらったので断念。エサやり体験バスパックン号というのもあるようだが、すでに午前の部がすべて満席。いかにもサファリらしいシマウマ模様のバスで園内を眺めることにする。

ウサギを捕獲 ここの特徴はウォーキングサファリにあるようだ。途中で車を降りて、動物園のように園内を歩いて回れる一角がある。ウサギやシカなどとはふれあったり、エサをあげたりすることもできるということで家族連れを中心にかなりのにぎわい。さともウサギを捕獲し、強引に(?)ふれあっていた。

トラとてつりん わたしもトラやライオンとふれあって(?)みる。さすがに触ることはできないし、相手は檻の向こうだが、1回500円で馬肉と思われる肉を5切れ、鉄製はさみでエサをあげることができる。猛獣をなめてはいけないが、食べる姿はまさにネコ。なかなかかわいいと思ってしまう。ちなみに彼らは週に2日、絶食の日があるらしい。食事にありつけない野生の日々を忘れさせないためなんだとか。

せっかく富岡に来たんだからと、予定にはなかった富岡製糸場にも行ってみる。なんでも世界遺産に登録する活動を進めており、日本国内の暫定リストに登録されたらしい。明治政府が進めた殖産興業政策の一環として建設された官営模範工場のひとつで、内部には昭和63年に操業を終えるまで稼働していた繰り糸機械も置かれている。地元の人らしき人も熱心かつ丁寧に説明してくださる。自由に敷地内を歩いてみたい衝動にも駆られるのだが、立入禁止の場所もあるらしい。

ただ、世界遺産としての価値がどれほどあるのかは、個人的意見としてはちょっと微妙なところではある。近年では自然遺産や歴史遺産は数が増えてきたこともあって登録へのハードルが高くなっているらしく、産業遺産を充実させる方向に向かっているらしい。観光振興とセットに捉えられやすいだけに地元の思惑もあるのだろう。しかし世界遺産乱立の傾向もあるような気がするだけに、登録への道は厳しいと思った。日本初の官営模範工場といっても、このような規模内容の工場は世界的に珍しいものではないと思うし、工場建築としての価値が世界遺産級とは思えない。建設当時はガラス窓のガラスを国産で作る技術がなく、輸入したという話らしいのだが、明治5(1872)年のガラスにしては綺麗すぎると思うし。実際には碓氷峠の鉄道施設など、周辺地域の近代化遺産を含めた形での指定を狙っているらしい。

富岡を出たのが15時過ぎ。国道18号へ戻り碓氷峠を越え、軽井沢から白糸ハイランドウェイ、国道146号線を経て川原湯温泉に向かうことにした。ところが軽井沢で思わぬ誤算。ゴールデンウィークということで軽井沢周辺は壮絶な大渋滞。軽井沢市内を流れるクルマは夕方という時間帯から、見た限り軽井沢を出る方向に多く進んでいると判断された。そこで旧三笠ホテルのさらに奥にあるという白糸ハイランドウェイに向かう。ここまでで軽井沢周辺に来てから、すでに1時間が経過していた。

みよしや前にて ところがさらに困ったことに、その白糸ハイランドウェイへの入り口が見つからない。旧軽井沢付近を迷走の末、国道18号線を西に向かい国道146号線に向かうことにする。渋滞を避けようとしたのに避けきれず、結局渋滞の最も激しそうな場所を突き抜ける方向に向かうことに。しかし多くのクルマが国道18号線へ向かい、次の行楽地や家路に向かっているのだろう。国道へ向かう道もなかなか進まない。何もしないまま軽井沢付近で2時間足止め。この日宿泊のみよしや敬業館に着いたのは18時30分近くだった。

5月4日

目が覚めると窓から見える景色が素晴らしかった。山間に小さく開けた土地。川が谷を作り、その両脇に国道や線路、集落が見える。ここがあと数年ほどで、ダムの底に沈むなんて。遠くに見える国道新線のものすごく高い橋脚が、どれほど巨大なダムを造るのかを暗に教えてくれていた。逆にまだ橋脚しかない国道新線の姿は、ダムに沈む運命にある川原湯温泉のことを知り、楽しむ時間が思ったよりも残されていることも教えてくれた気がした。

ふとんをたたみに来た従業員の話では、平成20年にはここを立ち退きしなきゃならないという話だったらしいのだが、最近では公共事業費が削られてきているとかで、工事そのものが遅れているとのこと。段取りとしては鉄道や道路の付け替え、水没を迫られる地域住民の代替地造成・整備、移転の完了、ダム本体の建設という流れになるらしい。しかし現段階では鉄道や道路の付け替え工事中、代替地は整備されているところもあるもののまだ移転できる状態ではないといったところか。

川原湯温泉には3か所の共同浴場がある。源頼朝が発見したと伝えられる王湯、昔ながらの湯治場のぬくもりが感じられるという笹湯、高台の林の中にある混浴の聖天様露天風呂。そのうち朝7時から入れるという聖天様露天風呂を目指す。静まりかえった温泉街の朝、下り坂を歩く下駄の音がいい風情。しかし周囲をよく見ると、建物があったことがわかる土台も目立つ。整備を進めている代替地に移らずに、川原湯を去った人のいた跡なのだろう。確かに、昔からここにいたからこその愛着なのであって、ダムに沈みますから近くに用意したこちらの土地へどうぞといわれても、同じ引っ越すならもっと便利な場所もある。沈むことと引き替えに新しい川原湯の街を作ろうとしているのだろうが、実際にそれはかなり難しいことでもあるのだろう。

聖天様露天風呂は朝早いので誰もいないか、近隣旅館宿泊者夫婦による混浴タイムになっているかと思ったが、実際には男しかいないため事実上の男湯になっていた。ここに入る度胸は、普通はないだろう。100円を入れると音が鳴る料金箱が備え付けられていた。100円以外のものを入れて入浴する不届き者がいるらしく、その場合は音が鳴らないのだとか。わたしだけが入浴し、さとは昨晩貸し切りにして入ったみよしや敬業館自慢の断崖大樽露天風呂へ。夜でも国道を走るクルマのブレーキランプが見えていい雰囲気だったが、朝だと遠くまで景色がよく見えて、またよかったことだろう。聖天様露天風呂からも、遠くを走る列車の音や遠くの山々がよく見えた。

宿を出て吾妻渓谷へ。ここもダムの底に沈むはずだったのだが、ダム本体の位置を上流にずらすことによって、水没をまぬがれたらしい。ダム本体が建設される予定の場所にプレを停める。この位置は水没ではなく、ダム本体のコンクリートの中に沈む位置らしい。そのことを示す看板に描かれている、設置当時はあったと思われる店はすでになく、更地になっていた。

かなり高い 渓谷の道はかなりハード。すれ違う人をよけるのも一苦労。柵のないところも多く、足を踏み外そうものなら間違いなく吾妻川まで真っ逆さまだろう。なかなか景色を楽しむ余裕がない。遊歩道にビューポイントを示す案内が少ないと思っていたのだが、実際遊歩道から見える景色はさほど多くはないようだ。それでも途中にある見晴台では、山間らしさを感じる場所を見つけたので1枚。この少し向こうにダム本体ができるとのこと。そのころにはここから見える景色も一変してしまうのだろう。

さらに進むうちに、「千人窟」と書かれた看板を発見。しかしその先は道なき道といった感じ。下は渓谷ではないものの、階段を下っていく遊歩道。足を滑らせたらタダでは済まないだろう。それでも踏み込んでいくと・・・。

千人窟 千人窟に到着。岩の風化による砂地のようなところで、落石の跡も見られたので近寄りたくはなかったが、中をのぞき込んださとの報告によると、1000人入れるような大きさではないとのことだった。

滝見橋 白糸の滝付近にかかる滝見橋。新緑が美しいが、このあたりになると完全に水没するらしい。

橋を渡って国道に出たところで、吾妻渓谷の散策コースは終了。国道沿いのドライブインで食事。さとは麦とろを、わたしはまいたけの天ざるをいただく。このあたりは草津などに向かう街道で、江戸時代には多くの旅人が行き交うところだったらしい。麦とろは今でいうスタミナ食品で、これを食べて旅人は元気を回復したのだとか。ただかつてはこのあたりにも多くの麦とろを出す店があったのだろうが、見る限り近隣にはこの1軒だけ。このあたりも、やがてダムに水没する。

八ツ場(やんば)ダム建設の目的や効果などを紹介する、八ツ場ダム広報センターやんば館にも行ってみた。ここが水没しない場所だったら住民感情逆なでだろうなと思ったが、幸い(?)水没するとのこと。八ツ場ダムは完成すれば洪水、治水対策のほか、首都圏の水がめとしての役割を担うことになるのだろう。しかし水没する川原湯の人々の犠牲があるからこそ、これからも首都圏で水を使っていけるという視点からの物言いには違和感を覚えた。そういう言い方をすることで、せめて前向きに捉えてもらいたいのはわかるのだが、犠牲を強いた立場が言うことじゃないだろうと。

西の河原 六合村を経て草津に向かう。かなりのにぎわいで周辺は軽井沢ほどではないものの渋滞。近隣駐車場から無料バスに乗って中心部へ向かうことにする。まずは西の河原大露天風呂。下手な温水プールよりもでかい。お湯の中を20秒ほど歩いたのだが、それでもまだ入り口から半分程度といったところか。広いだけにどれくらいの人が入浴中なのか、数えてみたところ50人以上。一度に50人以上の全裸を見るなんて、おそらく人生初体験のスケール。でかいことを千人なんとかと称したりするが、ここは詰めればホントに千人風呂といえるスケールがあるだろう。

湯畑 土産物屋を冷やかしながら温泉街を歩いて、草津のシンボルだという湯畑へ。ここで採取された温泉成分が、入浴剤として別府で売られているのを見たことがある。その源がここかと思うと感慨深いものがあった。湯畑のよく見える喫茶店から、温泉街の中心を見下ろす。でもさとが言うには、草津ってこんなところだったかなぁと。確かに、例えるならばバブル期に見た京都のような、妙に温泉街にしては場違いというかどこにでもありそうな景色というか、違和感のあるこぎれいさを感じる景色では遭った。ここでさとは何を思ったか実家に電話して、昔草津に行ったときの話を聞いていた。そして川原湯温泉のすばらしさや、ぜひ行くべしといった話をしていた。

草津を離れる前に、道の駅草津運動茶屋公園へ。草津温泉を世界に紹介したほか、明治初期の重要史料でもある「ベルツの日記」でも知られる医師ベルツの記念館もあるのだが、時間が遅くすでに閉館。土産物屋も充実しており、結構時間をかけて見ていたのだが、実はそれでは困る!というのも国道292号線渋峠を越えて長野県側へ抜けて帰る予定だった。ここは標高2152mの、国道高所第1位の峠。すでに冬季閉鎖は解除され、夜も凍結することなく通れるとの情報は地元で得ていたのだが、それでも明るいうちに到達して写真を撮っておきたい。

途中硫化水素ガスが噴出する危険地帯があり、窓を閉めるように、停車しないようにとの注意書きがあった。荒々しい火山性の景色は思わずシャッターを切りたくなる風景なのだろうが、確かに車内が臭くなった。内気導入にしたものの車内に取り込まれた硫化水素ガスが循環していたらしく、危険地帯を過ぎても車内が臭かった。たまごの腐ったようなにおいがわかりやすいだけに、通行するときは気をつけたい。

国道最高地点到達 そうして国道292号線渋峠、日本国道最高地点に到達!途中すれ違った自転車軍団は信州大学サイクリング部ご一行だったらしく、雪壁には「信州大学サイクリング部」の文字が。自転車で攻めるには相当の体力や技量が要求されるだろう。すごいぞ信州大学サイクリング部。しかし彼らが走破したのは長野側から群馬側にかけてのこと。危険地帯は下り坂なので問題なく通過できるが、逆方向の走破は相当難しいと考えた方がいいだろう。

あとは国道18号から8号線を走って帰宅。夕飯の時間を含めても草津から8時間ほど。意外と川原湯は近いことも判明しただけに、水没前にまた行くことがあるだろう。そう感じた帰路だった。

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